君恋温泉・・謎の恋そば   

 

2007.4 鶴川竜之介

 

4月某日、陽気に誘われハイキング。中央本線猿橋駅から百蔵山〜扇山〜君恋温泉。

アプローチが面倒でなければ、どこでもよかった。地図を眺めていて目についたのは、君恋温泉の逆さクラゲ(※ラブホの意ではありません)。君恋温泉・・むぅ、なにやら心惹かれる響き、よし、ここだ。やはり、適当な疲労感+極楽の温泉+至福のビールという、この黄金比のようなセットでなければいけない。

天気は快晴、汗ばむほどの陽気。猿橋駅から歩き出し、1時間半ほどで百蔵山。富士山が朧ろな大気に少し霞んで見えている。木陰で食べるおにぎりがウマい。

 

 

 

 

 

木の芽立ちの新緑はどれも愛らしく、柔らかな緑に和みながら歩けば、更に約1時間半で扇山到着。ハイカーも増え、のっぺりした頂上付近は木陰も少ないので、早々に君恋温泉を目指す。

 

下ること約30分、山裾の畑中へ続く道の先に、風林火山のノボリを従え「君恋温泉」の看板があった。

 

 

そばに建つ家屋は、しかし、全く普通の民家。

 

 

玄関先に回れば、看板の大きさとは裏腹、玄関灯に慎ましやかに「君恋温泉」とある。

傍らの自販機にキリンラガーがあることを確認しつつ、奥に声をかけるが、シンと静まって誰も出て来ない。下足棚の上にインターホン『御用の方はこれを押してお話下さい』。はい、わかりました。現れた女性に入湯料500円を払って、浴室に案内してもらった。浴室の手前の部屋が休憩室で、出たらこちらでお休み下さい、とのこと。浴室の脱衣所は、脱衣カゴこそあれ、ロッカーは無論、棚も無い。床に敷かれたビニール茣蓙が、スリッパと素足の境界らしい。レトロなタイル張りの小さな洗面台が一つ。壁際には、明らかにこの家の居住者のものと思われるタオルやバスタオルが、何枚も屈託なく干されている。そうか、こういうのを家庭的な宿とか、家族的な雰囲気なんて言うんだな、きっと。妙に納得しながら湯に入る。沸かし湯らしくやや熱い。

 

 

単純泉か。信玄の隠し湯の一つらしいが、別段特色はない。しかし、温泉と名のつくからには、せめてこのぐらいの雰囲気作りはということか、小さな浴槽に流れ込む如く、溶岩流のような岩棚がしつらえてあり・・それが、すべてのようだ。V級、いやU級か。オンサイトは固い。

風呂上り、再びどこからともなく現れた先ほどの女性に声をかけられた。筍の煮物を休憩室に用意したから、よかったらどうぞ・・・え?筍?・・いいんすかぁ?

 

思わず目尻が下がってしまう。これは、瓶ビール頼めるかな!と振り返ったときには、もう女性の姿はない。休憩室に品書きのようなものは何もない。仕方なく自販機で缶ビールを買って戻った。500円の入浴料で、筍までご馳走してくれて、商売気がないのか、趣味でやってるだけなのかな、などと思いつつ、懐かしい田舎風のちょっと濃い味付けの筍を肴にビールを飲めば、すっかりホンワカな気分となる。

 

 

この宿は、どこからどこまでが居住空間で、どの辺りが客室なのか、さっぱりわからない。しかも、宿の人間の姿が見当たらず、どこかで声は聞こえているものの、どうやってそこにたどり着けばよいのか見当がつかない。下手に部屋を覗き込むわけにもいかず、結局、君恋の名の由来を聞くことも、ごちそうさまを言うことも出来ないまま宿を出た。因みに、宿にあった説明書きを要約すると、以下のとおり。

この近辺に「恋塚」という集落と「君越(きみごう)」と呼ばれる場所があり、どちらも日本武尊がこの地を通過した故事に由来している。日本武尊が相模から上総へ軍船で渡った折、荒れ狂う波を鎮めるため、妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)が、自ら海神のいけにえとなり海へ身を投じた。日本武尊は、その妃への思いに胸ふさぎながらこのあたりを越えて行ったことから「君越」の地名が付けられた。やがて見えてくる扇山は、日本武尊が仰ぎ見たことから「仰ぎ山」、のち、扇形にも見えるので「扇山」に変わったのだとか。日本武尊はこの山の麓に愛する弟橘姫の霊を祀る塚を立て、これが「恋塚」の名の由来となった・・・とのこと。

これから推して「君恋」は「君越」と「恋塚」の合体か、もしくは、君越(きみごう)⇒きみ(を)こう⇒君恋になったのかなぁ。

 

宿から旧甲州街道に出て東へ20分ほどで犬目というバス停があり、四方津駅へのバスの便があるようだが、時刻に間があったので、帰りは、反対方向の鳥沢駅まで歩いてみた。その途中、街道沿いにあった君恋温泉の看板に思わず・・??

『栗めし 恋そば 宿泊完備』・・・「恋そば」って、なんだぁ? そんなものがあったのか。知っていれば頼んでみたものを。それとも宿泊客にしか出さないのか。

 

 

いったい、どんな蕎麦なんだろう。

ハート型の油揚げが乗ったハッピーきつね蕎麦。恋しい人を思いながらすすれば、必ず恋が成就する願掛け蕎麦。見詰め合って二人ですすれば、たちどころにトリスタンとイゾルデ、恋に落ちてしまう愛の秘薬蕎麦。それとも、昔々この地の娘が、自分のもとを去って行った恋しい男を思いながら、狂乱のごとく打ったのが元であると言い伝えられる、愛の乱れ打ち蕎麦・・・我が空想の翼は、とめどなく羽ばたいて行く。

こうして、もどかしくも「恋そば」の謎を残したまま、のどかな春の一日ハイキングは終ったのでした。(終)

※「恋そば」食されたことのある方は、どうか詳細を教えてください※

 


 

鶴川竜之介 ; HANDLE NAME ; EMI 1958〜 

MSCC女子大学 日本文学科で、日本の言語・文学の豊かな価値を追求する。 研究の柱として日本語学・日本文学・中国文学の三部門の有機的結合をテーマとし・定期的に・論文を発表するなどの活躍が評価されている。  ”中国文学を重視するのは、それが日本文学の基層にあり、影響を与え続けているからです。”” という氏 の言葉に裏付けられた文学作品の分析には、独特の論理や解釈が散りばめられている。 そのユニークな視点から見た学説は、しばしば、日本文学界に波紋を呼 び、夜を徹して議論されることも稀ではないとか。 そのような独自の世界観を構成するマインドの根底にあるものは学生時代の内モンゴル流浪の旅であると自ら述べている。 また、氏は江戸文化研究家として一面も持ち合わせており、関係者から一目置かれている。  研究の傍ら、短編時代小説の執筆もしており、 白神山地間瀬川周辺録 (2002年 筆名;ナオミ) 等がある。

 新しい筆名 鶴川竜之介は 氏が在住する近所の地名・鶴川と氏が尊敬してやまない芥川龍之介の名をもじったものと言われている。 よほど ”竜” と言う文字が気に入っているらしく、俳号では ”お竜” などを用い、先の時代小説にも ”とっくりのお竜”として、自らを出演させている。

 

 

 

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